講師プロフィール
岡山県岡山市に3人姉弟の長女として生まれました。
下に妹と弟がいて
次女とは7つ、弟とは8つ離れているので
子どもの時から小さな子のお世話をする事が当たり前の環境で育ちました。
そういった環境からなのか、
私の母が教育熱心だったからなのか、
親しくなった方や生徒さんが悩んでいたりするとつい心配になり、話を聞いたり相談にのったりと"熱くなる"、
そんな性格です。
なので、生徒さんが思春期になってくると、悩みを相談してくれる事が自然と増えてきました。
生徒さんの『人生』という長い道のりを応援したいと思っていますので
「第2のお家と思って安心して通ってもらえたら」
そんな風に思っています。
〜音楽歴〜
3歳から大手音楽教室にて私の音楽の道がスタート。
当時はグループレッスン中心で
お教室ではエレクトーンを弾く。
家での練習はオルガン。
どちらも鍵盤はとても軽く簡単に音が出せるので
手の形をしっかり教えてもらう事も無く、
きちんとした形が掴めるまでには
かなりの年数がかかりました。
お箸の持ち方と同じですが、
始めた時にきちんと教えてもらわないと
後々直すのは何倍も苦労するものですね。
さて、小学校に入る頃には
グループレッスンと個人のピアノレッスンを
並行して習っていました。
(ちなみに、
5歳から6年間水泳にも通っていました。)
小学1年生の時に
家にグランドピアノが来ました。
エレクトーンもありましたが、
グランドピアノが家に来てからは
ピアノへの道が本格的に始まりました。
小学生の頃は毎年、
『学校の音楽発表会でピアノを弾く!』
という事を目標にしていました。
コンクールにも毎年出て
賞を頂くようになりました。
高学年になると、先生から
全学年で合唱をする時は伴奏者として指名していただくようになり、今思えば私の伴奏者人生はそこから始まっていました。
実は、今でも一人で弾くより伴奏の方が
好きなのです。
中学生の頃には
『大学は国立(くにたち)音楽大学へ行く』
という道が既に決まっていました。
本当は、小学5年生まで通った
水泳教室の影響で中学の部活は
水泳部に入りたかったのですが、
部活に入るとピアノの練習が
出来なくなるという事で
水泳部は泣く泣く断念しました。
高校は音楽コースがある学校に進学し、
同じ『音楽』という方向に向かう
同級生のみんなと切磋琢磨しながら、
音楽にどっぷり浸かる濃い時間を
送りました。
ピアノの実技試験が毎年ありましたが、
高校の入試の時から卒業の試験まで、
全て1番の成績だった事は
私の自信に繋がりました。
そして、高校3年生の時には
コンクールでも1位を頂く事ができました。
さて、
大学は中学生の頃から目指していた
東京の国立音楽大学に入り、
一人暮らしが始まりました。
住んでいたのは
音大生専用の防音アパートで、
8.5畳の中にピアノと
生活空間が一緒にあるような環境でした。
大好きなオードリー・ヘプバーンの
ポスターを部屋のあちこちに貼った
幸せ空間でもありました。
大学生の頃は、
毎年のピアノの試験で
常に成績上位にいる事が出来、
コンクールでも全国大会に入賞するなど
目標に向かってしっかり進んでいけていた
とのではないかと思います。
もちろん、悩んだり迷った時期もありましたが、
「自分はこれで良いんだ」
「このまま進んでいけば大丈夫」
という『自己肯定感』は、
ピアノを通して高めていく事ができたと
思っています。
〜プロフィール〜
石川 環(いしかわ たまき)
岡山市在住
国立音楽大学ピアノ専攻卒業
第33回山陽学生音楽コンクール第1位
第12回日本クラシック音楽コンクール全国大会入賞
卒業演奏会、新人演奏会、荻窪音楽祭などに出演
演奏家団体リュミエールよりCD「ロマンティック」の収録に参加
オペラ「泣いた赤鬼」、岡山シンフォニーホールで行われた晴レ国フェスでのひとりミュージカル「みどりの天使」、2023年ミュージカル「星の王子様」のピアニストを務める
又、おかやま国民文化祭「風の嬉遊曲」、
岡山芸術創造劇場2023年開館事業の一つ「慈愛と恵み 石井十次物語」にもピアニストとして携わる
ソロ、伴奏、室内楽などで多くの演奏会・学校公演など幅広く演奏活動を行う傍ら、ピアノ講師として後進の指導に力を注ぐ
いしかわピアノ教室主宰